環境が子供を育てる 教育の基調の転換

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教育の基調の転換

自ら学び、自ら考える学び方への転換

 

子供に生きる力とゆとりをの中で、これからの学校のめざす教育としては、生きる力の育成を基本とし、知識を一方的に教え込むことになりがちであった教育から、子供たちが自ら学び、自ら考える教育への転換を目指すことが必要であることを力説した。今回の教育課程改善の狙いの一つとしてこれからの学校教育においては、これまでの知識の一方的に教え込むことになりがちであった教育から、自ら学び自ら考える教育へと、その基調の転換を図り、子供たちの個性を生かしながら、学び方や問題解決などの能力の育成を重視するとともに、実生活との関連を図った体験的な学習や問題解決的な学習にじっくりとゆとりをもって取り組むことが重要、と述べている。


子供たちの学び方の実態に目を向けてみると、学校嫌い、勉強嫌いを理由に登校拒否に陥る子供が年々増え続けている。できない、動かない、遊べないといった何事にもやる気を失った子供や、逆にむかつく、切れるといった新しいあれ方によって学級崩壊、授業崩壊など、かつて経験したことのないような教育病理現象も増加しており、学校の多くの教師が悩んでいる。

このような学びからの逃走をはじめ、いじめ、校内暴力、不登校など学校もさまざまな病理現象を生み出す根本的要因として、子供の学び方が過度の受験競争の影響により受験勉強に大きく偏っていることがあることは、臨教審、中教審などの答申も認めている。なんといっても学校生活の中心である教科の授業が、子供にとって楽しくなく、教師からの一方的な教え込みや教科書中心の暗記教育に偏っているのである。校則などの強化による学校の管理体制の締め付けが生徒たちの反発を招っていることもあるが、それ以上に教師は、受験教育体制の下、学ぶべき知識を生徒に押しつけ、さらには内申書でもって生徒の学習活動全体をコントロールしているのである。

学校の営みが、子供を主人公とせず、子供の人間的成長をや発達を図ること何より基準として展開するのでなくて、受験競争の過熱に基づく外部的圧力や権威主義的な教師を主軸にして展開していることが、学校嫌い、勉強嫌いの子供を大量に生み出す根本の理由となっているといえよう。

問う心を育てる学び方の教育

このような日本の学校教育改革のカギの一つは、子供の学び方に教師がもっと目を配り、学ぶことに歓び、楽しみを子供が見出すような学び方を教育の基本に据えることにあるといえよう。教師は、自分の教え方に気を配ることはあっても子供の学び方に気をつけることは意外と少ないのである。勉強の仕方が分からない、つまり学び方を誰も教えてくれないという悩みや訴えは、いわゆる低学力の子供からだけではなく、成績の良い子供からもよく聞かれ、中学生の悩み調査などで最も多く挙げられる悩みの一つとなっている。

子供の学び方に目を配り、学び方を研究し、質的に高めようとすることは学校の教育活動全体を子供の立場に立ってとらえ直すことを意味する。これまでの日本の教育は、もっぱら学校に子供を合わせ、教師の教え方に子供を合わせようとしてきた。学校嫌い、勉強嫌いの子供というのは、そのような一方的なをお仕着せの教育に対する子供の反発と見ることもできよう。

しかし、教師が子どもの学び方を知り、子供の立場にもなって考えてみるということは、子供のいうことを何でも聞聞き入れ、子供の興味に追従するということではない。子供の興味に従うのではなく、むしろそれを時には子供が予想もしないような高いところに引き上げたり、拡大することが大切なのである。学校での学習によって、子供たちの素朴な勉強の仕方のイメージがより豊かなものに作り替えられていくようにしなければならない。いばれたことだけをやるような受動的な学び方ではなく自ら進んであれこれを探求するのを動的な学び方が身に付くようにしなければならない。

 

これからの情報化社会に生きる人間にとっては、頭につめこんだ知識の量よりも、常に問いをもち、知的好奇心を燃やして、自ら知識を増殖させていくような学び方を身につけることの方が大切になってくる。

子供自身も、小学校の中学年から高学年になるあたりから、ただ覚えるだけの勉強には飽きたりなくて、学習の中身そのものに興味や関心を示すようになる。それまで見えなかった世界、気づかなかった関係な見えるようになり、理解できるようになることは、子供にとっても大きな喜びであり、ああ、わかったという時の感動は、次の学習に対する意欲の源泉となる。

学問というのは、文字通り問う事を学ぶことに本質がある。学問の成果を知識として単に覚えるだけでは、学問を本当に学んだことにはならない。自分で考えるということは、問いをもつことから始まるのだが、現在の学校では、教科書に書いてあることをただ覚えるだけで満足している子供が少なくない。教科書にあることを答えれば正解となるような問しか事業でも出されないからである。このような授業では、正解が出れば、学習をはそれで終わってしまう。だが、本当の学問は、むしろその先にある。これからの授業では、そのような正解を出すことではなく、むしろ自分になお納得できないこと、疑問に思うことを出し合い、そのような問を追求することに重点が置かれるようにしなくてはならないのである。

学び方教育論の系譜

子供に学び方そのものを教え、自習、自立の学び手に子供を育てるということは、今日の教育改革の重要課題となっているが、教育の歴史を振り返ると、このような教育論は別に新しいものではない。ルソーのエミールにそのような考えがすでにのべられているし、ジョンデューイの明日の学校にも同じ考えがのべられ、強調をされている。また、子供自身の問いを重視し、自主的学習を育てる教育論は、わが国でも大正時代のころから存在する。他律的教育から自律的学習への進展を主張した。